中村佳之さんが経営するのは、二条城の南、神泉苑の斜向かいに位置する「雀休」。京都にたった一軒しかない京こまの店だ。妻のかおるさんと二人三脚で事業を営んでいる。
もともと公家の女性文化に由来するという京こまは、日本各地の独楽がたいてい木製であるのとは異なって、芯棒に色とりどりの布(現在は主に綿の平紐)を巻き付けて作られる。色彩ゆたかな布が重なり醸し出す華やかで繊細な風情は、京こまならではのもの。回せば、流麗な舞いを眺めているかのような気分にもなる。
35歳で京こま職人の道へ
中村さんが、京こま職人として開業したのは2002年。今から16年ほど前のことだ。長年勤務してきた医療機器メーカーを退社し、「一か八か」の勝負に出た。
祖母と父がともに京こま職人だった中村さんは、幼い頃から京こまに親しみ、こま作りの手ほどきを受けた。中学時代には、多忙な父を手伝って製作したこまが店頭に並んだこともある。ものを作る楽しさ、そして自分の作ったものを誰かが買ってくれる喜びが、忘れ難い記憶として心に残っていた。
もちろん、会社で他人が作った上質な商品を売るのもやりがいのある仕事だが、自分が丹精込めて作ったものを売って得られる充実感にまさるものはない。中村さんはそう思っていた。
以前にも、京こま職人として生きる道を思うことが何度かあった。しかし、そのためには会社を辞めなければならない。果たして生計を立てて行くことができるのだろうか、との不安が起業を思いとどまらせていた。
というのも、京こまの需要は時代とともに減少して、1980年代以降、多くの職人たちが廃業を余儀なくされた経緯があるからだ。かつての京こま職人の中には、やむなく無職となった人もいれば、はんこ屋や染め物屋など、他種の職人へと転じた人もいる。中村さんの父も例外ではなく、1983年頃に廃業をした。
「うちの仕事として途絶えていたので、それをもう一回やりなおす、という感覚はあったんだと思います。昔、一所懸命やってはった姿ってのは見ていて、もう全く誰もやっていかへんのはもったいないなあ、と。」
サラリーマンとして会社に勤務する傍らで、空いた時間にコマを作り、魅力的に商品化する方法を研究しながら、悩みぬくこと約2年。ついに2002年、「やるなら思い切ってやってみるかな」と決断して会社を退職した。
京こま職人としての35歳からのスタートだった。
祖母と父から受け継いだ屋号「雀休」
会社を辞めて京こま職人の道を歩むことに、父は猛反対だったという。自分と同じ苦労を息子に味わわせたくない親心からだったのだろう。反対を押し切ってまで開業した中村さんを、父はただ黙って見守っていた。
「やることあったら言えよ」―。そう言って父が応援の手を差し伸べてくれるようになったのは、開業から数年が経過した頃だった。店舗を訪れた時には、口やかましく戸締まりのことばかり注意してきた、今は亡き父。
「多少うれしい部分はあったのかもしれないですね。」と中村さんは振り返る。一流の職人として立つ息子の姿を、父はどれほど頼もしく、誇らしく見つめていたことだろうか。「お客さんが買うのは1つやから、その1つをちゃんと全部丁寧に」という父の徹底した姿勢を、中村さんは今も大切に守り抜いている。
「雀休」の屋号も父から、さらにはその前の祖母の代から受け継いだものだ。
祖母が北区・紫竹に庵を結んで京こまを作っていた頃、庭石のくぼみに水を入れてやると雀たちが嬉々として集った。それが、まるで雀にお茶をふるまう茶室のようであったことから、祖母の工房は「紫竹雀休庵」と名付けられた。
「雀休」の看板は祖母から父へと引き継がれ、父の廃業後、約20年間のブランクを経て、中村さんがよみがえらせたのだ。
よみがえったのは「雀休」だけではない。中村さんが起業した頃、すでに現役の京こま職人は他には見当たらなくなっていた。たった一人の現役の職人として、中村さんは京こまそのものを現代に再び息づかせようと奮闘してきた。
元京こま職人たちが、中村さんのこま作り体験教室などにふらりとやってくることがあるらしい。今では皆、80歳前後の高齢者だ。
「『どうや。やっていけるか。大変やろ』とか言わはる。そりゃそうです、みたいな(笑)」
懐かしさを瞳にたたえた元職人たちが、若い中村さんにエールを送る。
新世代の京こま職人として生きる
2002年の開業当初、中村さんの仕事場は自宅のワンルームだった。京こまは、机ひとつ分のスペースさえあれば製作することができるそうだ。
父の時代の京こま職人たちと同じように、中村さんもまずは京こまの製造のみを行い、販売は小売店に委託する形をとることにした。
しかしその後、修学旅行生など京こまに関心を寄せる人たちから見学の希望や問い合わせが相次いだことがきっかけで、2008年、現在の場所に店舗を構えることを決め、以来、中村さん自身が商品の販売にも直接携わってきた。
「作る」だけにとどまらず、「売る」ための店舗をもつことは、京こま職人としては前例のない挑戦だったという。客と直接対面することで、ニーズをキャッチしやすくなり、効率的な商品開発が可能になった、と中村さんはそのメリットを語る。
現代のニーズに合わせたユニークな新商品
客からの要望を積極的に採り入れながら、新たに創作してきたものの一つは、携帯ストラップ、ピンどめ、かんざし、ブローチ、ピアスなどの小物だ。
もともと布と木と糊から作られる京こまは繊細で水濡れに弱く、こうした小物への加工には向かないが、通常用いることのない食用ウレタンにより丈夫に表面処理することで、商品化が実現した。
そしてもう一つは、バラエティ豊かな創作京こま。店内には、十二支の動物、祇園祭の山鉾、京野菜、ひな人形、金魚やカエルなど、さまざまな形を模した京こまが、ところ狭しと並んでいる。愛らしい置物のように見えるが、どれも紛れもない京こまで、きちんと回るというのだから驚いてしまう。中村さんの磨き抜かれた技と遊び心とが、一つ一つの作品に凝縮されている。
道を行く車、建物、何を見ても、どうやって棒を立てればこまになるかとイメージしてしまう、と笑いながら語る中村さんは、まさしく芯を通すプロ、物事を巧みに回すプロ。
今度はどんな新作でファンを喜ばせてくれるのだろう。
京こまの無限の可能性
京こまを手渡して、回してみるよう促すと、どんなに難しい顔をした大人でもニコッと無垢な笑顔に変わる。中村さんがこよなく愛している瞬間だ。
ほとんど喋らなくなった認知症の高齢者が、京こまを触わるうちに幼い頃の兄との日々を思い出し、朗らかな口調で話し始めたこともある。
京こまは、人が大切な幸せのかけらを取り戻すことのできる無限の可能性を秘めているのだ。
京こまの魅力を少しでも多くの人に知ってもらうため、日本国内はもちろんのこと、海外でも、こまの展示販売や、こま作りのデモンストレーション、体験教室などを精力的に行っている。今年10月には、ロンドンのキングス・カレッジで講演を行う。
小さくて親しみやすい手ごろな価格の商品を作って、できるだけ広く京こまを使ってもらえるようにしたい。それと同時に、工芸品として価値の高い作品をじっくり時間をかけて作り上げ、京こまのブランドをいっそう向上させていきたい。そう中村さんは意欲を燃やす。
21世紀に京こまをよみがえらせた匠の挑戦が明日も続いていく。
京こま匠 雀休(じゃっきゅう)
京都市中京区神泉苑町1 ⇒地図
アクセス:京都市営地下鉄「二条城前」駅から徒歩5分
京都市バス・京都バス「神泉苑前」下車すぐ
電話:075-811-2281
営業時間:11:30-18:00
定休日:毎週日曜日・月曜日